防ぎようがないこわさ。いまにつながる古代の根源的恐怖--「えほん遠野物語 おいぬさま」

 近頃は、町に熊や、イノシシが出没してときどきニュースになったりしています。けれど、正体はわかっています。ネットや図鑑で調べればもっとよくわかる。けれど、相手の正体がわからず、しかも熊や、イノシシよりはるかに利口で、強かったらどうでしょう。それも大群で、近くに潜んでいる……

 

今回、紹介するのは、「えほん遠野物語 おいぬさま」。

日本の怪談の原点ともいえる柳田国男の「遠野物語」を京極夏彦氏が新たな語りでよみがえらせた絵本シリーズ(第二期)です。遠野の大自然で暮らす狼(といっても不思議な力をもち大きい。「もののけ姫」のモロを思い出しました。)と、狼に怯えながら暮らす人々を描いています。

 

自然の神秘、恐怖 

自然の中で暮らしていた人々が抱いた、山や川や里にひそむ不思議さ、不安、恐怖を見事に描き出しています。現代のホラー作品のように、グロテスクな描写や残酷な場面などはないのですが、それでもこわい……。

 

「山口村の小学生が学校からの帰り、ふと通り道にある岩山を見た」すると、なにかの気配に気づき、「よく見ると、岩山のあちこちにお犬様がうずくまっていた」のです。最近は、通学路などに子供を狙った殺人鬼が潜んでいるようですが、この「お犬様」も相当、こわい。根源的な恐怖を呼び起こす神秘的な存在です。

 

怖くて、お利口 

お犬様は「どれも大きい。生まれたての馬くらいある」のです。わたしたちが思い浮かべるオオカミとはちょっと、いやだいぶんちがうようです。だいたい、「何百というお犬様の群れが押し寄せてきたのだ。」なんてあるでしょうか。草食動物でなく、肉食のこんなこわい生き物が大群をなしているなんて……悪い夢みたい……。この生き物は、また身を隠すのが上手なのです。季節の変化にあわせて、回りの草木とともに毛の色を変える。ジュラシックワールドの、タコの色素をいれた「カムフラージュ可」のモンスター恐竜を思い出しました。

 

絵本というと、かわいいほのぼのとしたものが多いと思いますが、このような「こわいもの」も、魅力的なのではないでしょうか。人間だれしも、恐怖、不安から逃れることはできないと思います。「恐怖、不安」と向き合うことは必要と思います。と、べつにそんなお説教めいたメッセージがこの絵本に込められているわけではないと思いますが、そんなことを考えさせられました。

 

 

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独特の印象

「お犬様のうなり声」、「二百か、三百か、山もどよめくほどの足音」など聴覚的にも効果的な表現がなされています。「おいぬさま」と「さま」づけしているのもうなずけます。自分の対処できないおおきなものに対してはやはり、このように畏敬の念をもつのではないでしょうか……。容易に対応できない、防ぎようがない点が、根源的な恐怖につながっていると思います。

 

馬方たちが、お犬様の大群に対し、回りに火を燃やして防ごうとしても、防げませんでした……。動物が火をこわがるという「お約束」が破られるのはいかにもこわいです…。またある老人は、遠吠えの真似をしてお犬様をからかい、あとをつけられます。家に戻り、しっかり戸締りをしましたが、お犬様は、うなり声をあげながら、一晩中、家の周りをぐるぐると回っています。朝になり、お犬様の姿はなかったのですが……彼が見たものとは?……

 

「お犬様」との表現には、相反するような二つの意味が込められているのかもしれません。

何かこわがる一方ではなく、神秘的な、神々しいものを感じ取り、敬っている。落書きしたからとか、会議であくびしたからとか、視察先でスッポンが死んでたからとかの理由で、やたら国民を殺しまくる、どこかの国の独裁者を「こわがる」のとはまったく違う意味あいなのではないでしょうか……

 

ラストは、何百というお犬様の群れが押し寄せてきて……その恐怖のクライマックスのあと、意外な結末がまっています。迫力のある絵も混沌とした恐怖、不安をうまく表現しています。

自然(の脅威)とは、不安や恐怖とは……一度、じっくり考えたいと思いました。

 

著  者:柳田国男/原作 京極夏彦/文 中野真典/絵

出版社:  汐文社 出版日:2018年4月26日